おくのほそ道の旅

元禄二年(一六八九)三月、俳聖・松尾芭蕉は、
門人の曾良とともに東北・北陸行脚に出ました。
千住から日光、黒羽、白河、松島、平泉などの
奥州を経て、鳴子から出羽国に入り山寺、最上川、
出羽三山、九十九島へと北上した後、酒田、鼠ヶ関
から新潟、北陸を辿り美濃国大垣へ、一五〇日をかけ
総距離二四〇〇キロを踏破しました。
芭蕉を「みちのく」へと向かわせたのは、古くから
歌人の憧れだった多くの「歌枕」と、西行や源義経の
足跡を辿り、目にすることで自らの俳諧を深めること。
それにより「不易流行」の思考へとつながる大きな契機
になった旅と云われています。

日光路

  田一枚
  植えて立ち去る
  柳かな

奥州路

  夏草や
  兵どもが
  夢の跡

出羽路

  五月雨を
  集めて早し
  最上川

松尾芭蕉

生没年 寛永二一年~元禄七年(一六四四~一六九四)
出 身 伊賀国
人 物 三十二歳で俳諧師を目指し江戸に出、
    三十四歳頃に宗匠として独立します。
    三十七歳の時に隠居して深川の庵(芭蕉庵)
    に入ります。
    「野ざらし紀行」「鹿島詣」「笈の小文」
    「更科紀行」などを通して蕉風俳諧を確立。
    その後、四十六歳で「おくのほそ道」の
    旅を経て、それまで遊びの文芸だった俳諧
    を芸術の域まで高めました。

監修 山本 陽史(山形大学学術研究院教授)

本プロジェクトは、文化庁「観光再開・拡大に向けた文化観光コンテンツの充実事業」採択事業です。

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